広島地方裁判所 昭和27年(ヨ)49号 判決 1952年3月31日
申請人 日本電気産業労働組合
被申請人 中国電力株式会社
主文
本件申請はこれを棄却する。
申請費用は申請人の負担とする。
事実
申請代理人は「被申請会社(以下単に会社と称す)は本案判決をなすに至るまで昭和二十七年度従業員定期採用の決定をしてはならない」との仮処分命令を求めその理由として申請組合(以下単に組合と称す)は電気事業に従事する労働者で組織する全国単一組合で中国地方では広島市に中国地方本部を置くもので、会社は中国地方の発電送電配電を目的とする電力会社であるが、昭和二十六年十月二十八日当事者間に労働協約を締結し、その第五条には従業員を会社が雇傭する時はその採用についての基準を予め組合と協議する旨の規定があるところ、組合の中国地方本部では右規定に基き昭和二十六年九月頃から昭和二十七年度定期従業員採用基準の協議方を申込んでいたにも拘らず会社はこれを等閑に附し、同年十二月二十六日に至り漸く組合に対し右基準決定に関する小委員会開催を申込んできたので、同日及び翌二十七日の二日間協議したが、当時は会社に何等原案なく、昭和二十一年度制定の中国配電株式会社職員採用内規をそのまま準用したいから諒承せられたいとのことであつたので組合は新協約の趣旨に鑑み新採用基準の制定を主張し、会社は研究の上再度協議することに決定したところ、会社は不都合にも昭和二十七年一月七日より四日間定期採用試験を実施し採用決定の段階まで到達したことを組合は聞知したので、早速採用基準の協議につき団体交渉を申込み、同年一月十七日、二月一日、同月六日の三回に亙り団体交渉を行つたが、会社は、前記採用試験による採用は協約違反ではないが協議を続行し、協議成立するまで採用決定を保留すると主張し、これに対し組合は右採用試験の実施は協約違反であるから右試験を白紙に還し改めて採用基準を協議の上採用試験を行うべきであると主張し、遂に団体交渉は決裂したのであるが会社は採用基準についての協議は成立しないのに記前協約第五条を無視し旧採用内規を準用して従業員採用の決定を強行する模様であるのみならず、協約第四条により新規採用の従業員は同時に当然組合の構成員となるので、その従業員の能力、人格、意識は直ちに組合に重大なる影響を及ぼすものであつて、特に会社重役等の縁故による芋蔓式採用は組合の団結を弱化する虞があり、組合としては重大な関心事である。
よつて組合は会社に対し前記採用手続は無効である旨の訴を提起すべく準備中であるが万一採用決定がなされると、新規採用従業員も組合員としての資格を有するに至るので、組合に対する著しい影響を生ずる虞があるから本申請に及んだと陳述し、会社の主張を否認した。(疎明省略)
被申請代理人は主文同旨の判決を求め答弁として申請人組合が電気事業に従事する労働者で組織する全国単一組合であること、被申請人会社が中国地方における発電及び送電を目的とする電力会社であること、組合と会社間にその主張の如き労働協約が締結せられていること並びに両者の間にその主張する如く小委員会と団体交渉が開かれたことは認めるがその余の主張はすべてこれを争う。
会社の主張は次の通りである。(1)協約第五条「採用基準について協議する」という約款は、本来組合の意思にかかわりない会社の一方的意思決定によつて行い得る企業経営権の範囲に属する雇用について定めた内部的手続に関する制約であつて、労働組合法第十六条にいう労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に触れたものではないから、所謂労働協約の規範的部分ではなく債務的部分に属し、従つて協議なくして行われたとしても、その行為の効力には影響なく、ただ債務不履行の責任を生ずるに過ぎない。(2)右労働協約は中央労働委員会の調停により成立したものであるが、その際組合は右協議の意味に関して「凡て協議決定が望ましいが今直ちに全部をそこにもつて行くと言うのではない」と応答している点並びに協約第三十四条に同意を協約の改訂要件として用語を使い分けしている点に鑑みれば、協議とは「話合」をするという意味の約款であつて「同意」又は「協議決定」を要するという意味ではない。従つて右協約の拘束力も債権的に過ぎない。(3)そうすると会社が協約に違反し組合と協議しない状態において従業員を新規採用したとしても、組合はこれによつて損害賠償請求権を取得するに過ぎないから、その権利を保全することと、本件保全処分申請とは何等の関連性もない。即ち組合は被保全権利を有しないといわなければならない。
申請人が本案訴訟として予定している採用手続無効確認の訴というのは、確認訴訟の目的となりえない単なる事実関係を目的としたものに過ぎないから、やはり被保全権利は存在しない。(4)かりに申請人主張の如く協議約款に違反してした行為は効力を生じないとしても組合との間の他の問題や事務ストのため会社は忙殺されやむを得ず採用基準の制定が遅延していたところ、年末迄には新規採用の詮衡に着手する必要上十二月二十六、二十七日の両日小委員会を開催し、中国配電株式会社の「職員採用内規」を基とし訂正すべき部分はこれを訂正しこれを基準としたいと要請したが組合は白紙の立場に立つて採用基準を協議すること、右基準の中には雇用量を包含せしめること、採用基準は採用の都度協議すべきものであることを原則として主張したため協議は不調に終つたのであるが、採用規準には雇用量は包含さるべき性質のものではないし、継続性は基準の本質的要素であるのみならず、協約附則第二項によれば協約の運用に当つては従来の合理的慣行はこれを尊重するようになつているから、既に協議を経た右採用内規を基として協議を進めることは当然の措置であつて、現に他地区の電力会社においては再編成前又は協約成立前の基準を踏襲しているのに、組合が前記の如き不当な原則論を固執して協議に応じないのは信義誠実の原則にもとり協議権の濫用といわねばならない。(5)会社は採用試験は実施したが、組合との協議による基準に不適格なものは採用しない方針のもとに協議せんとしたが、組合は前述の如き原則論を強調して協議に応じなかつたのであるから会社は協約に違反した事実はない。(6)会社が新規採用する人員は四十名程度に過ぎないから、組合員一二、五〇〇名を擁する組合に「重大な影響を及ぼす」ものとは考えられないから、本件仮処分の必要性がないと陳述した。(疎明省略)
理由
申請人組合は電気事業に従事する労働者で組織する全国単一組合被申請会社は中国地方において発電、送電、配電を目的とする電力会社であるところ、両者間に昭和二十六年十月二十八日労働協約が締結され、その第五条に会社が従業員を採用しようとする時は、その採用基準について組合と協議する旨の規定の存すること及び昭和二十七年度定期採用基準について協議するため昭和二十六年十二月二十六、七日の二回の小委員会、翌二十七年一月十七日、二月一日、二月六日の三回の団体交渉が開かれたが協議は不調に終つたこと並びにその間一月七日から四日間に亙つて会社は採用試験を実施したことは何れも当事者間に争がない。
証人平田勝及び小吹悟の各証言を綜合すれば一応次の事実を認めることができる。即ち昭和二十六年一月二十三日会社の前身たる再編成前の中国配電株式会社時代に、組合と右会社の間に統一労働協約が成立し、その第五条に、採用基準について両者協議する旨の規定があり、それが同年五月再編成後の会社に承継せられたのであるが、会社としては当時既に二十六年度の採用を終つていたので再編成後にこれを制定するのを妥当としていたところ、再編成に伴い、同年八月迄、就業規則、退職金規定、年功慰労金規定等の諸規約及び規則の立案、内規の作成、諸用式の統一、退職金承継の問題、全職員名簿の作成等の事務に忙殺され、八月からは十二月二十日から実施する計画の下に能力給の査定、是正の準備に着手したがこの問題は直接従業員の賃金に影響する事項であるから慎重に決定せねばならぬ上、管下一万二千名の従業員について個人別に、年令、職歴、学歴等を調査せねばならないため、人事課員は毎日夜の九時、十時迄執務する有様であつたところ、九月下旬頃組合は労務課長を通じて右基準の協議を申込んだけれども、十月一日から十四日迄スト状態が発生し、その間組合から協約改定の要求があり、更に十一月一日から十二月四日迄ベースアツプを目的とする電源ストが実行されたため、会社の幹部迄が現場に赴くというような事態を生じ、そのため組合と採用基準について協議する機会を得られなかつたが、十二月二十六日、二十七日に至りやつと小委員会を開催する運びになつた。その席上会社は、二十七年度定期採用も切迫していたので、その採用に限り暫定的に旧中配時代に組合と協議済みの職員採用内規に準拠し、組合が不満とする改正箇所を指摘して貰い、その点について協議し、同時に併行的に新採用基準の協議方を提案したところ、組合は右内規は制定以来五年を経過し、今日の基準となすには不適当であるとし、協約に基く新基準の設定及び右基準の中には雇傭量を包含せしめること並びに基準は採用の都度協議すべきであると主張したため、協議は妥結するに至らず、翌二十八日には、益田町に懲戒事件発生のため協議を開催できなかつた。これより曩会社の方には公募によらない採用希望申込者が百五十名近くあつたが、受験者の便宜上、冬期休暇中に試験を実施する必要と会社としても時期が遅れる程人材を逸する虞があつたため、右協議の結果到底早急な協議の成立を期待できないことが判明したので、十二月二十八、九日に、各受験者に試験期日の通知を発し、翌二十七年一月七日から四日間に亙り試験を実施し、一月十二日詮衡委員会を開いて採用予定者を決定し、十四日はその通知をする手筈にまでなつていたところ、十七日に至り、組合側から右処置が協約違反だとの抗議をうけたので、三十日に会社は小委員会開催を申込んだが、組合は協約違反を主張して協議の余地なしと回答し更に二月一日団体交渉し、会社は前記小委員会におけると同様な要求をしたのに対し、組合は採用基準の協議に入らず協約違反の主張を固執し、謝罪及び責任者の処罰並びに試験の白紙還元を主張するのみであつた。然し会社としても円満な協議の成立あるまで一応採用を留保することとし、更に同月六日団体交渉したが組合は前同様の態度に終始し終に協議は妥結するに至らなかつた事実を認めることができる。
よつて先ず本件労働協約第五条に規定する協議がなされたか否かにつき按ずるに労資双方が対等の立場において締結した労働協約は双方共誠実にこれを遵守すべく従つて右に所謂協議も双方誠意を以てこれに当らなければならないのは当然の事理であるが、協議が成立しないからといつていつまでも要協議事項の処理ができないわけではなく、誠意を以て協議に臨んだにも拘らず相手がこれに応じない場合はこれを以て協議がなされたものとして取扱つて差支えないと解するを相当とするところ、本件の場合協議は成立しなかつたのであるから果して右の様な事情が認められるか否かにつき考えてみるに、結論から先にいえば、前認定の如き交渉の経過事情を彼此考量すると一応協約に規定する協議がなされたものと認めるのが相当である。
しかし、だからといつて会社に何等非難すべき点がないというのではない。
前認定の如く会社は所謂電力再編成のためその事務繁忙を極めたとはいえ成立に争ない疏乙第七号証の一、第八号証の一、第十一号証の一等を綜合すると再編成前後の事情において会社と同様の状態にあつたと思われる北海道東北四国各地区の電力会社においては夫々採用基準について組合と協議決定していることが認められるから会社が組合から昭和二十六年九月下旬頃協議の申込を受けたにも拘らず年の瀬も押し迫つた十二月二十六日に至つて始めて小委員会を開いたことは会社の怠慢であるというべく且右小委員会の席上においても会社は時期切迫に籍口して旧職員採用内規を基にして協議を進めることを一方的に求め、しかも自ら内規に規定する公募の方法によらずして所謂縁故募集のみを以て事足れりとし、僅か二回の小委員会の結果から直ちに協議の妥結に至らざることを速断し、組合に通知せずして採用試験を実施し、これがため徒らに組合を刺戟し、その後の団体交渉を決裂に至らしめたともみられないことはないのであつて、会社も協議不成立の責を免れえないということができるけれども、一方組合としても、証人小吹悟の証言にもある如く各職場は退職やパージのため人手不足を生じ一日も早く欠員の補充を望んでいる有様である上定期採用において時期を失する時は人材を集め難くなることは充分諒承している筈であるから前認定の如き会社の事務の事情及び会社は採用決定を留保し、協議の妥結を俟つて訂正された基準に則つて改めて採用決定をしようとする態度を表明している事情等を汲んで徒らに新採用基準の制定及び会社の協約違反のみを問責せず会社が目前に迫つた二十七年度定期採用の一応の基準として提案した旧職員採用内規を暫定的基準としてこれを検討し妥当な基準の設定に誠意を以て協力すべく、右内規が到底協議の基礎となすに堪えられない程の内容であれば自己の方からも案を提示して協議を続行し、早急に基準の成立をはかるべきであるのに、会社だけに提案させておいて自己の側からは積極的な提案をなさず会社の案に異議のみ申立てるが如きは(組合が提案したことについては主張も疏明もない)組合としても誠意ある交渉を遂げたというわけにはいかない。
これを約言すると協議に至るまでの経過については会社に責むべき点があることは前述の如く否めないが、協議の態度においては組合側が余り強硬に過ぎたため不成立に終つたものと認めざるをえない。
そうしてみると前認定の如き交渉前後の事情及び交渉における双方の態度並びに採用試験を新基準に則つて再実施することによつて生ずる利害得失等を比較考慮すると会社に対し此度の採用を禁止し既に実施した試験を白紙に戻し新基準に則つて再び採用手続を実施させなければならない程誠意において欠けているとはいえない。換言すれば本件の場合一応この程度の交渉を以て協約に規定する協議がなされたものと認めて差支えないであろう。
よつてその他の点の判断を省略し協議がなされなかつたことを前提とする本件申請は失当であるからこれを棄却すべきものとし申請費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 柴原八一 浅賀栄 加藤宏)